茅ヶ崎の皆さん、こんにちは。
茅ヶ崎市議会議員の木山こうじです。
令和5年第2回茅ヶ崎市議会定例会が、6/8から22日間の会期でスタートいたしました。
本定例会もさまざま議案が上程されましたのでしっかりと審査してまいりたいと思います。
さて、私が所属する文化教育常任委員会にある陳情が付託されました。
タイトルは、
「18歳までの医療費を無料にするよう求める陳情」
子育て真っ最中の当事者として、子どもにかかる経費が少しでも削減できるような事業が進められることは大変喜ばしく思うところであり、少子高齢化、人口減少を食い止めるためにも積極的に進めていただきたいと感じますので、本陳情に関しては市民目線、そして子育て世代代表という自覚を持ってしっかりと審査したいと思います。
ただ、、、
全国的に子どもの医療費無償化の流れがきていると感じるところなんですが、私自身少し気になる点があります。
「無償化」とは、「無料」ではなく「公費負担」という意味であり、公費負担ということは財源は私たちが納めている税金です。
社会保障をはじめとする公費負担の事業が増えれば、その分政府や行政の役割が増えていくことにより、いわゆる「大きな政府」になっていきます。
大きな政府となれば、その分多くの事業に必要な財源を振り分けるだけの潤沢な資金を必要とします。
本来であれば、限りある財源の中で事業費を捻出するために他の事業の歳出を削って必要な事業に財源を充てるといったトレードオフの作業があって然るべきですが、能力のない者に任せれば、削るべきところを削る英断を下せず、財源不足となり、結果国民(市民)に負担していただくという形となり、増税という流れになります。
ちなみに、令和5年度の国民負担に財政赤字を加えた潜在的な国民負担率は、53.9%となる見通しであると財務省から発表がありました。
単純計算で、課税所得額が30万円の人の可処分所得額が13万8300円になるようなものです。
まぁはっきり言って
「ふざけるな」
ですよね。
じゃあそんな人々を救済するために、金持ちから搾り取って困っている人たちに再分配しようじゃないかとなるとします。
再分配する財源を100億円としましょう。
100人に配れば、一人当たり1億円。
1万人に配れば、一人当たり100万円。
100万人に配れば、一人当たり1万円です。
1万円でも、生活費としては大きな金額ですよね。平等に分配してもらいたいと思うところですが、ここでネックなのが分配するためのコストです。
国が吸い上げた税金を配分するとなれば、所得制限やら何やらの区分けが必要となります。その業務を各地方自治体に丸投げします。丸投げされた自治体は、業務量が増え、残業も増え余計に人件費がかかります。
また、その業務に人手を奪われるため、本来やるべき業務に支障をきたすので、数字には表れない「見えないコスト」が生じます。
私が研修などで大変お世話になっている経済学者の先生は、「100億の財源があったとしても、政府や行政を仲介すれば、この見えないコストにより末端の国民に届く額はおそらく半分くらいになってしまうだろう」とも言っていました。
本来、1億円もらえていたものが5000万円。
100万円もらえていたものが50万円。
1万円もらえていたものが5000円になってしまうわけです。
だったら、個人が自由に使えるお金を増やしてあげるための施策、例えば所得税の減税などすりゃいいじゃないかと思います。
医療費に関しても、病院に全く行かない健康優良児をお持ちの家庭に恩恵はありません。
じゃあ、病院に行かない健康な家庭にインセンティブを与えるにはどうしたらいい?とか。。。
平等とか公平って難しいですよね。。。
ただ、医療費が公費負担となれば、子育て世帯にとって子育てをする上で一つの安心感に繋がることは確かです。
私もいち子育て世代として、医療費公費負担による経済的負担軽減は大賛成であることに間違いはありません。
親が安心して子育てができる環境を求めるのは世の常であると身をもって感じますし、そんな市民ニーズに合わせて行政サービスを適宜変容させていかなくてはならないのが行政であるとも感じます。
難しいですよね。。。
話が長くなりましたが、
私が言いたいのは、、、
少子高齢化、人口減少などの問題を解決するためにも生産年齢世代である「子育て世代」への投資は必要だが、その手段は必ずしも政府や行政が介入しなくてはならないものではないということです。
無駄を排除して減税して、可処分所得を増やして、個人個人が自分の判断で余剰金を投資に回した方が幸福度は上がると思っています。
政府や行政は万能ではありません。
政府や行政を挟むだけで余計なコストがかかることを念頭に置いて議論することが非常に重要であると私、木山こうじは考えます。
今回の陳情の審査にあたる上で、こういった視点が非常に重要であると思い、つらつらと書かせていただきました。
最後までお付き合いいただきありがとうございました。
木山こうじでした。